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22/08/18 Blog
【Masa’s Blog】vol.8 Animal Welfareという考え方(A’ALDA代表 奥田昌道)

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ヒトと動物が幸せに暮らすためには「動物福祉(Animal Welfare)」という考えを、ペットオーナー全員が知る必要があると思います。

日本では動物福祉よりも「殺処分0」という言葉が新聞やテレビで盛んに報じられております。その結果、ペットの殺処分問題は関心の高いトピックになっております。また、都道府県知事などもこの問題を取り上げ、犬猫の殺処分0を掲げる自治体も少なくないです。

環境省が発表している統計データを見ると、年々犬猫の殺処分数が減少しております。 昭和49年度の殺処分数は122万頭であることを考えると、この40年間で殺処分数が大きく減少していると言えます。しかし、今だに保健所だけで、年間で2.5万頭近くの犬猫が殺処分されている状況ですので、更なる改善は必要であると思います。

出典:犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況(環境省統計資料)

動物福祉の中に、動物の5つの自由(The Five Freedoms for Animal)という理念があります。 「5つの自由」とは、1960年代のイギリスにおいて家畜に対する動物福祉の理念として提唱され、現在では、家畜のみならず、ペット・実験動物等あらゆる人間の飼育下にある動物の福祉の指標として国際的に認められています。具体的な5つの自由は下記の通りです。

1. 飢え・渇きからの自由(Freedom from Hunger and Thirst)
2. 不快からの自由(Freedom from Discomfort)
3. 痛み・負傷・病気からの自由(Freedom from Pain, Injury or Disease)
4. 本来の行動がとれる自由(Freedom to behave normally)
5. 恐怖・抑圧からの自由(Freedom from Fear and Distress)

出典:国際的動物福祉の基本-5つの自由(公益社団法人日本動物福祉協会)

この5つの自由が示していることは、動物の生死だけでは動物福祉を担保することができないということです。「殺処分0」という言葉だけが先行して国内に浸透してしまい、動物福祉という考え方が置き去りになってしまっている今の状態はかなり不安です。

例えば、寝たきりで食事も摂れなくなり、心身共に苦痛がある場合だと、上記の5つの自由が満たされていないため、動物福祉が担保されていないと判断しないといけません。このような場合だと、仮に治療が見込めないのであれば、欧米の獣医師であれば、迷わずに安楽死の処置を行うと思います。また動物福祉を担保するためにも速やかに安楽死をしなくてはならないという考えが欧米では一般的であると思います。

もちろん欧米と日本では文化も宗教観も大きく異なりますので、安楽死に対する考え方にも差があります。しかし、それぞれの動物の状態を考慮せずに「安楽死=悪いこと」と単略的に捉えてしまう考え方は、動物福祉を完全に考慮していないとも言えます。

当然ですが、安楽死や殺処分をしないに越したことはないです。しかし、治療の見込みがない大怪我、内臓損傷や悪性腫瘍により苦痛が続くシニアな個体が認知症で寝たきりの状態の場合には、欧米だと迷わずに安楽死処置が行われると思います。残念ながら予後が悪い場合にはどんな手を尽くしても苦痛は回避できず、5つの自由が満たされることはありません。私たちはその局面になった時に、どんな判断をするのか・すべきなのか、思考停止せずにもっと動物のことを真剣に考えた上での議論が必要です。

このような動物と人の関係性を議論する上では、様々な立論や根拠に多様性があります。 動物福祉と混合されやすい、動物の権利論(Animal Right)、動物解放論、動物愛護論について「日本の動物政策」という書籍から以下引用をさせていただきます。

動物の権利論とは、動物は、人間の権利の客体ではなく、人間と同様に権利の主体であると位置付ける議論であり、人間による動物のあらゆる利用を否定する。具体的には、彼らの命を利用する肉食や動物実験の廃止を主張し、ペットとしての飼育や動物園での動物展示についても人間のためのエゴイスティックな利用であるとして非難の対象とする

動物福祉論、アニマル・ウェルフェア論とは、人間が動物を利用する現実を許容したうえで、しかし、動物も人間と同様に苦痛を感じる力を持っていると考えるところからスタートする。そして、動物の苦痛も、人間のそれと同様に考慮するに値するとして、動物が生きている限り、合理的な必要性のない苦痛を最大限に除去すべきとする。また肉体的な苦痛を除去するだけでなく、精神的な苦痛を払拭するために、その動物本来の習性や能力を尊重しようとする。

この両者の議論に関わるのが、動物解放論である。動物解放論は、そもそも人と動物の扱いに差別を設ける合理的な理由がないとする。これは福祉論・権利論の両面から根拠付けられる理論であり、権利論から見れば、人間に認められる権利は、動物にも認められると考える。あるいは福祉論から見れば、人間に与えることが許されない苦痛は、動物にも与えられるべきではないと考える。このどちらを立論するにせよ、殺害や苦痛を伴う肉食や動物実験は認められず、人間と動物の取り扱いを別立てで考える「種差別」の発想の撤廃を訴える。

最後に、動物愛護論とは、動物を愛おしむことを是とし、動物の虐待を防止し、動物の命や安寧を大切に守ろうとする情緒的な議論である。もともと19世紀のイギリスで、下流階級の人々が馬や犬を粗雑に取り扱う様子を批判して、上流階級による動物虐待防止運動が始まったのがルーツとされる。ただし日本においては、近年多くの家庭でペットが飼養されるようになり、動物を家族の一員と位置付けて大切に愛情を込めて対応することへの共感が広がりつつあり、動物愛護論とは、そうした情緒的な議論であると整理されることが多い。もともと日本においては、殺生禁止の文明のなかで動物の命を絶つことへの苦手意識があり、目の前の動物に愛情を注ぐ傾向(あるいは、イメージできる範囲内ではあるが、犠牲になる動物を気の毒に思う姿勢)が強いとされる。

引用元:日本の動物政策 

上記にも記載されていますが、日本では「殺処分0」を起点にした動物愛護論によってヒトと動物の関係性が議論されることが多いと感じます。

動物福祉が動物を主体とした考え方なのに対して、動物愛護論の主体はヒトとなっております。動物愛護は、ヒトが動物に対する行為・愛護活動を示すものであり、動物福祉は、飼養動物において「5つの自由」を担保するというのが国際的な共通思想です。

動物愛護論は、国・人種・個人・経験・宗教などで全く異なる個別の情緒的な主張ですので、ヒトと動物について全体最適を考慮した議論には発展しにくい傾向があると思います。

保護犬猫や殺処分問題に取り組んでいる方の根本的な思想・感情としては、全員がほぼほぼ同じゴールを目指していると信じております。「ヒトとペットが幸せに暮らす」という共通目的を見失わずに、保護団体、行政、民間企業、ボランティア、全関係者が協力をすることでより良い環境を整備することができると思います。

私たちA’ALDAも民間企業として、保護犬猫問題・殺処分問題の継続的な解決に向けて貢献していきたいです。まずはやれることから始めていこうと思います。


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・人とペットが幸せに暮らせる社会をつくる

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・世界で最も影響力のあるAnimal Health Tech Companyになる

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私たちは、 人とペットがともに生き、 ともに暮らし、信じ合い、 愛し愛される世界を創造します。 揺るぎない熱意と、 世界中の最先端獣医学テクノロジーによる 最良の動物医療を通じて 人とペットの幸せを実現します。

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